
紀伊風土記によると藤原光福が地頭としてこの地を支配した嘉元年間(1303〜1317年)に、自分の祖先神である春日三神をあらたに祀り、 総名として「春日社」と称したとあります。紀伊名所図絵によると、社地はもと、現在地から東の山の中腹にあったが、天正年間(1573〜1592年)
に羽柴秀長の家臣で和歌山城代桑山重晴によって現在地に遷したと記しています。なお、棟札(重文)によって慶長元年(1596年)に大がかりな社殿 の造作がなされたことも実証されています。
明治時代まで神職はおかず、神社経営は宮座形式の当屋制によって運営されていた。そのため、神社には記録文書類は全く存在せず、その詳細は、 他からの資料に頼らざるを得ませんが、御神徳の篤い神社であることは、「紀伊国神名帳」に「正一位春日大神」と記されていることからも知ることが出来る。
役小角が、友ヶ島を行場と定めた折、当社を勧請して守護神とし、そのため現在でも毎年四月二十日に聖護院門跡が大勢の山伏僧と共に参拝されています。 |

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