加太観光・遊び
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淡島神社
供養のために2万体ともいわれるひな人形が奉納されている本殿は天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州征伐で全焼した後、浅野幸長が再建、紀州徳川家初代・徳川頼宣が修復、江戸時代末期に第十代・徳川治宝が造営したものである。昭和54年(1979年)には傷みが目立つようになった社殿を覆うような形で新社殿が造営された。
神宝として神功皇后奉納の金銅造丸鞘太刀(国宝)、護良親王奉納の大円山形星兜(国宝)などが伝わり、この神社が古くから皇族や有力武士の厚い崇拝を受けていたことがわかる。
当地は古代から南海道を往来する船舶の要衝にあたり、神社の建物には一部、木造船の部材が再利用されている。「紀伊続風土記」は紀伊国屋文左衛門の出身地、そしてそのみかん舟・梵天丸の出帆地が加太浦であると伝え、文左衛門の家に祭られていたと伝わる稲荷社も境内に鎮座する。
淡島神社

■淡島神社ホームページ
   


紀伊風土記によると藤原光福が地頭としてこの地を支配した嘉元年間(1303〜1317年)に、自分の祖先神である春日三神をあらたに祀り、 総名として「春日社」と称したとあります。紀伊名所図絵によると、社地はもと、現在地から東の山の中腹にあったが、天正年間(1573〜1592年) に羽柴秀長の家臣で和歌山城代桑山重晴によって現在地に遷したと記しています。なお、棟札(重文)によって慶長元年(1596年)に大がかりな社殿 の造作がなされたことも実証されています。
明治時代まで神職はおかず、神社経営は宮座形式の当屋制によって運営されていた。そのため、神社には記録文書類は全く存在せず、その詳細は、 他からの資料に頼らざるを得ませんが、御神徳の篤い神社であることは、「紀伊国神名帳」に「正一位春日大神」と記されていることからも知ることが出来る。 役小角が、友ヶ島を行場と定めた折、当社を勧請して守護神とし、そのため現在でも毎年四月二十日に聖護院門跡が大勢の山伏僧と共に参拝されています。
春日神社

■加太春日神社
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友ヶ島
友ヶ島は紀淡海峡に緩やかな曲線を描いて浮かぶ神島、地の島、沖ノ島、虎島の四島を合わせた総称で定期船の着く沖ノ島の最高峰、コウノ巣山(120m)には1等三角点が埋設されています。加太港からの観光船で20分、沖ノ島の野奈浦桟橋に降り立つとそこはもう南国の楽園。少し前までは電気も自家発電でまかなっていた自然のままの島です。友ヶ島は第2次大戦の終わるまでは旧日本軍の軍用地で一般の人は立ち入ることが出来ませんでした。島内には大戦中の施設も多く残され6カ所の砲台跡のほか紀伊防備隊の海軍聴音所、弾薬庫、軍馬舎、将校官舎、厠なども当時の面影を偲ばせてくれます。また、島内の歩道はほとんどがかつての軍用道路で、今も舗装されていない風情ある道路で島内を巡ることが出来ます。

お問い合わせ
友ヶ島自然公園事務所 TEL073-459-0314
友ヶ島汽船加太営業所 TEL073-459-1333(船の時刻など)


誰もがトムソーヤになれる島
友ヶ島
■友ヶ島ってどんなとこ?


 友ヶ島イラストマップ
■友ヶ島イラストマップ
友ヶ島汽船 友ヶ島汽船 友ヶ島汽船のホームページ ■友ヶ島汽船の時刻表

森林公園・海水浴場
気分すっきり 森林公園&わくわく海水浴&バーベキューもできるよ♪
7月1日海開き始まりま〜す。でも6月からでも泳げま〜す。
森林公園 朝は森林公園、そしてお昼からは海!
夏には若者や家族連れでいっぱいになってる

バーベキューも楽しめるきれいなビーチ
海水浴

磯遊び 和歌山
加太の海では、磯遊びが楽しいです。
海に下りれば、磯の香りが漂っています、加太の栄養タップリの海の磯には、「がんがら」や「ヤドガ二」「天草」や「青藻」がタップリで、潮がひいた時には、磯にできた水溜りに魚やタコなども発見できます。いろんな生き物を見つける磯遊びは子供達やカップルに大人気♪  
磯遊び
磯遊び風景 和歌山 磯遊び 加太 磯遊びと美味しい磯の料理


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